坐禅することによって悟り(仏道の真理を究める)を得て、仏となろうとするのが禅宗である。

仏教の教主・釈迦牟尼佛から10大弟子の1人迦葉尊者が、正法眼蔵・不立文字・以心伝心・教外別伝・直指人心・見性成仏などの法を付嘱(依頼、言って頼む)されたときに、禅が釈尊から迦葉に伝わったものである。

人は本来、心の中に得行を持っている。これを「正法眼蔵」という。

そして、真理を知るには、経文や仏画や仏像もそれほど重要性がない。「不立文字」がこれである。

迦葉が釈尊より法を付嘱されたとき、迦葉が言葉や文字などは一切使用せず、釈尊の意を理解した。文字通りの「以心伝心」で相互の心と心の触れあいだけで行われた。

釈尊の説法によらず、別に心と心の取引があるから「直指人心」という。

そして、宗教の目的である「見性成仏」(自分の心の中におられる阿弥陀仏に気付かされること)に達成するのが禅の根本的な考えである。

禅宗では、迦葉尊者を西天(中国を基準にして、インドのこと)第1祖、弟子の阿難尊者を第2祖として特に尊崇している。

6世紀初め、普通元年(520)に達磨大師が、インドから中国に入って禅を伝えた。それ故、東天第1祖として崇敬されている。

日本の禅宗は、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の3宗がある。黄檗宗は当初、臨済正宗黄檗派と称していたが、明治9年に黄檗宗と改めた。

禅宗の教え、即ち仏道の真理について、「黄檗」(黄檗宗青年僧の会発行)より抜粋して記す。

『唯心(この世で実在するのは心だけであり、総ての事物、現象は心の働きによって仮に現れたものである)の浄土(汚れや迷いのない土地、佛の世界)己身(自分の身、自身)の弥陀(阿弥陀仏)』と説かれている。

「無限の自由と愛の世界この身このままが仏である」

私たちは、本来、心の中に阿弥陀様がおられる。自分の心の中に極楽浄土を見いだし、心の中にいます阿弥陀様気づかされることである。

ところで、黄檗山萬福寺は、中国福建省福清市漁溪聯華村にあり、唐の太宗の時代である貞観5年(631)に、六祖慧能禅師の法を嗣いだ正幹の開創した般若堂がその始まりとされている。徳宗の時に建徳禅寺と改められ、黄檗希運禅師(?〜856)が黄檗山と名付けたと云われている。

その後、衰微、重興を繰り返しながら、萬暦42年(1614)に宰相葉文忠の助力によって、全蔵676函とその運搬経費300両が下賜され、その時の住職鏡源興慈禅師・鏡源興壽禅師によって、復興の事業が始まり、名も萬福寺と改められた。

中国明朝末に、福建省福州の黄檗山萬福寺で、住職として大いに禅の教えを広めていた隠元隆g禅師が、日本からの度々の招きに応じて、江戸時代の承応3年(1654)に長崎に渡来した。

この時、多くの弟子や職人を伴ってきた。また、隠元隆g禅師が渡来することを聞いて、日本の各地から大勢の修行僧が禅師を迎え、弟子となり教えを受けた。 御水尾法王や徳川将軍も帰依をされた。

徳川家綱公より現在地(京都府宇治市)に寺領10万坪を与えられ、中国の黄檗山萬福寺を模して、明朝様式の禅寺を創建した。伽藍建築や仏像造りには、隠元隆g禅師とともに渡来した職人達が、力を奮ったという。

寛文元年(1661)萬福寺が創建され、隠元隆g禅師は、古黄檗(中国黄檗山萬福寺)よりとって黄檗山萬福寺とし、初代の住職となった。

江戸初期から中頃にかけて、黄檗山の住職は、殆ど中国から渡来した僧侶であった。従って、朝夕のお勤めをはじめ、儀式作法や法式・梵唄はその伝統が受け継がれており、今日の中国・台湾・東南アジアにある中国寺院で執り行われている仏教儀礼と共通している。



「黄檗宗の本山」


黄檗山萬福寺

京洛の巽、妙高峰の麓に中国風の伽藍が整然とたたずむ黄檗山萬福寺は、日本禅宗(黄 檗宗・臨済宗・曹洞宗)の一つ黄檗宗の大本山であり、専門道場がおかれています。

黄檗宗では、儀式作法は明代に制定された仏教儀式で行われ、毎日誦まれるお経は黄檗 唐音(明代南京官話音)で発音し、中国明代そのままの法式梵唄を継承しています。


黄檗宗 大本山 萬福寺

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